下宿先が3度も変わる慌ただしい学生生活

下宿先が3度も変わる慌ただしい学生生活

一人暮らしを始めるきっかけの大半は大学進学や就職と思われますが、私の場合も25年前の大学入学が契機でした。しかし、それが後に述べるように慌ただしいものになろうとはまだ知る由もありませんでした。

まず、大学の学生課が賃貸アパートなどの物件の斡旋をしているので、そこの大学の進学が決まった直後に、キャンパスのある大宮市(現さいたま市)へ足を運びました。しかし、早々からこの大学に進学することを決めている人たちが、大学の最寄駅に至近のめぼしい物件を占めておりました。仕方なく、駅から見て大学の裏側に当たる、未だ開発途上の地域に4畳半2間で月2万の下宿先を選びました。ここは以前4畳半1間の学生寮だったのをつなげて2間にしたものでした。

この物件は駅からは歩いて行ける距離ではなく、先輩から貰い受けた自転車が手放せなくなりました。自炊のための日々の買い物も15分近くかけて駅前の総合スーパーに行かねばならず、大変でした。少し高くても、駅前に住むべきだったと後悔したものです。

私の出身大学は、3年になると別の場所のキャンパスに通うことになるので、進級直前に引越ししました。しかし、今度通う場所は都心附近で、近所に学生の下宿できるような賃貸物件はありませんでした。そこで、今度は学徒援護会に埼玉県戸田市の賃貸アパートを斡旋してもらって、西川口駅から歩いて数分の場所に6畳と4畳半2間のアパートに月3万5千円で下宿することにしました。

以前の下宿先は中距離電車が1時間に数本しかないあまり便利でない地域でしたが、ここは通勤電車が頻繁運転する所で、近所に駅前のスーパーがあって便利になりました。ただ、都内の混雑する電車で通学が必要になったのが最初は苦痛でしたが、高校のときに比べればまだ楽な方でしたからすぐ慣れました。

大学を卒業すると他大学の大学院に進学し、調布の6畳1間で月3万2千円の下宿に移りました。ここも駅からも大学からも近くて便利でしたが老朽化が激しく、入居4年後に家主の代替わりがきっかけで取り壊すことになりました。補償金の50万円を受け取って、世田谷の池ノ上駅歩1分7畳1間で月4万3千円のアパートに移りました。都内なので便利でしたが、井の頭線の騒音と踏切音が難でした。それでも3日で慣れました。買い物を安く上げる目的で隣の下北沢駅前のスーパーまで歩いて通ったものです。ここで就職までの2年を過ごし、地元関西での就職が決まったので実家に戻りました。

学生時代だけでも3度も居所を変える慌ただしい下宿生活でしたが、これはこれでなかなか貴重な体験ではありました。